賢いオタク生活

何事にも凝り性な成人女性の個人的な日記

240218

ぽかぽかだーーーー‼️‼️

ぽかぽかに染まった この俺を……と思いながら散歩したら10分で鼻水が止まらなくなり即帰宅した。去年も3月の終わりに花見をした際、鼻水が止まらなくてポケットティッシュを2つ消費した記憶があるが、それでも自分が花粉症であることを受け入れられなかった。もう観念するしかないかもしれない。

とはいえ鼻水が出まくることと目がゴロゴロすること(幸い痒くはない)以外に症状はなく、本当につらくてたまらないわけではない。年々ひどくなったりするものなんだろうか?怖くて調べられない。しかし自分の力でどうこうできる問題でもないので、ひどくなったらそのとき考えよう♪

 

何か問題が起こったときに「あのときああしなかった(もしくはしてしまった)自分のせいだ…」と思って自責しすぎる傾向にあるんだけど、それって普通に傲慢で、己を過大評価しすぎていると思う。私が自分の力で全てなんとかできると思うな。自分が何もかもコントロールできると思うな!でも自分が自分の力でなんとかしたかったんだよね!うんうん!やりたかったね!トイレのドア開けたかったのに親に開けられてワンワン泣く3才児みたいだ。

 


新卒で入った会社はメーカーだった。1年目なのに生産管理をひとりで任されて、とにかくトラブルを防ごうと必死だった。石橋を叩きまくって、あらゆる事態を想定して準備して、周りに根回しをして、それでも予測できなかったトラブルや防ぎようがなかったミスは起こる。災害、事故、関係者の突然の退職、自分の体調も含めて、自分の力でコントロールできないことはたくさんある。

 


他人の感情や言動も、私にはどうにもできない。

 


先回りできることには限りがある。想像力を働かせるのは良いことだし、考えなしに動きたくはないけれど、私の想像はすべてあくまで「私の想像」でしかない。

 


私の勝手な想像をもとに、(私のやりたいことは違うけれど)この人は私にこうして欲しいと思うからこうする、は結果的に誰にとっても誠実ではない。

 


私はずっと家族に過度に干渉される人生だった。それが愛だとわかっていたし、同時にそれしか愛される/愛する方法だと知らなかった。だからずっと誰かに人生に介入されたいと思っていた。家族以外に、私の問題を自分の問題のように捉えてくれる他者を必要としていた。*1

ただそれは私の場合、誰かに責任を取ってほしかっただけだった。自分で自分の選択に責任を持ちたくなかった。もっといえば、導いてコントロールしてほしかった。

愛されることは干渉されることだと思うと、今度は自分も愛情表現として他者に干渉したくなってしまう。自他の境界が曖昧になり、自分に起こること、他者に起こることすべてが「自分のこと」になる。すると、他者をコントロールしたくなってしまう。「自分ならこうするのに」「なんでこうしないの」と期待をして、思い通りにいけば喜び、いかなければ失望する。そうなると本当に苦しい。現に自分が、親からそういう期待をされて苦しんできたのに、自分は無意識にまた呪いを再生産しようとしていた。

 


話が少し逸れるかもしれないけれど、誰かに何か言われてネガティブな気持ちになったとき、やだ〜!と思ってゴミ箱に捨ててポイ♪ではなく、向き合おうと努力している。その言葉の何にネガティブな気持ちにさせられたのか?言い方?内容?内容だとしたらなんで?向こうに傷付ける意図があったから?自分じゃどうにもできないことなのに自分が怒られるしかなかったから?自分が悪いと思ってたことをズバリ言い当てられて図星だったから?

何を言われて、何を言われなかったのか?どこまでが事実で、どこからが私の感情なのか?そのことを第三者に話すとき、何が事実で何が私の気持ちなのか分けて話せるか?分けられないとしたら一体なぜ?その話を聞いた第三者にどう思われたい?私が可哀想?私が悪くない?私が悪い?

 


私はあまりにも感情的で、その感情に支配されるタイプの人間だ。頭のなかが常にうるさくて、あらゆることに考えや思いを馳せては、嬉しくなったり悲しくなったりして忙しい。事実と感情、自分と他人を切り分けて考えることをもっとできるようにならないと、行き交う感情の量が多すぎて疲れる。真面目で内省的ですべてに全力で向き合おうとするのは私の長所だが、向き合いどころを選ばないと、自分も周りも壊してしまう。東京はあまりにも人が多くて、いろんなことが起こりすぎるから。

 


ということを、ぐるぐるぐるぐる考えた週末だった。てか映画「夜明けのすべて」、本当に良かった‼️前後に友達と自他の境界について話して、それが適切な距離で描かれている映画を観て、頭が少しすっきりした。こういうトピックについて話せること、私が視野がせまくなってすべてを過剰に自己に関連づけてしまうときに、それとこれとは別!ということを第三者の視点から言ってくれること、そんな友達がいることが本当にありがたく、心強く、嬉しい!

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あのときは毎日「私は本当に頭が悪くて仕事ができない」と思って辛かった。たぶんすべて未然に防ぎたかったのにそれができなくて、完璧な自分への期待だけが高くて、完璧にできない自分が嫌で死にたかったんだろうな。すべて未然に防げることなんかあるわけないのにね!

 

240228 追記

母に「夜明けのすべて」をおすすめしたらさっそく観てくれて嬉しかった。LINEで送られた感想を見て、「お母さんって映画に感想とか持つんだ…」と思って、そんなことを思う自分にゾッとした。母親には彼女だけの人生があり、私の知らない彼女の人生とあの映画が交差したこと。それに対して、彼女にしかわからない彼女だけの感想があるいうこと。こんな当たり前のことも改めて認識しないとわからない自分が情けなく悔しいが、伸び代ですねぇ…と思うしかない。もっと良くなれる!!!!!

*1:境界線を踏み越えない形で、過度に干渉せず、それでもお互いに寄り添って「誰かの問題を自分の問題のように捉える」ことはできる(当たり前!!)